古い書評:石川康宏ゼミナール『女子大生のゲンパツ勉強会』:「就職に不利になる」分野の学習成果本をいかにして出版するか

神戸女学院大学石川康宏ゼミナール『女子大生のゲンパツ勉強会』の少し古い書評です。

原発のメカニズムの物理学的知識と、地震・津波のメカニズムという地球科学的知識、そして発電・電気料金のコスト計算という経済的知識を、学生たちがひととおりお勉強して初心者用の学習書を作りました、という本です。そこに、原発の導入史という、やや裏街道的現代史の知見を石川氏が補足して、一冊の本にしたわけです。そして終章の座談会です。この構成・この分担にはどのような意義があるのでしょうか。

こういう本を見ると、いつでも思うことがあります。「女子はなぜ哲学を専攻しないのか」。もちろん、結論は決まっていて「結婚できなくなるから」。でも、なぜ結婚できなくなるのか。それはある時代までは「哲学→マルクス主義」だったからです。だからその時代に学生時代を過ごした世代の親までは、自分の娘に哲学専攻など許しはしませんでした。(と、見てきたように語ってみましたが真相は知りません)。これ自体は、まあ多少過去の話ではあります。さて、ところでこの石川康宏さんという学者は、またまたその「マルクス主義」の経済学者だったりするのであります(ちなみに所属は文学部)。「結婚できなくなる」分野の代表みたいなものです。

大学の先生は学生の結婚のことまで心配する義務はないかもしれませんが、就職の心配をする義務はあるかもしれません。なので、この先生は、「汚れ役」は全部自分でかぶる、という方策に出たわけです。つまり、「闇の現代史」の解説は全部自分でやった。女子大生にはそこまでは執筆させなかったわけです。「なぜ事故が起こったあとになっても再稼働しようとする人たちがいるのか」の解説も、先生がおこないました。とりわけ、学生に経済団体への批判などを(あまり)書かせないようにしました。

終章の「学生の座談会」も、就活対策用に存在しているようにわたしには思えます。これだけ読めば、まったく無垢で無邪気で屈託のない、たんなる正義感にあふれた女子大生にすぎません。しかも、「原発反対」と言っているだけで、それ以上のことをこの社会に要求していません。「自然エネルギーに切り替えたらいいと思います」程度の提言で済んでいます。これくらいなら、採用する企業のほうも、結婚を申し込まれた男性の家族も、そんなに心配しません。「この程度なら、どうとでもなる」と思えるからです。まあ、「ちらっ」てくらいなら言っているのです。「原発に反対した人が左遷させられたらしいよ」「怖いね」とか、「就活のとき話せないよと言っている学生がいるよ」「就職に不利だから原発のことを知らないでいる、というのは良くないと思います」というように、です。でもこれらはほんとうにちらっと話されただけで、全体的なトーンからすれば散発的なものです。全体的には「御しやすい、どうとでもなる純粋な学生」以上のものではありません。

ただその代償と言ってよいのかどうか、一つだけこの本は失した点があると思います。それは、そもそも電力が一地域一社の独占体制で流通しており、消費者に「電力会社を選ぶ自由」が無い、という点を追及しそびれたことです。そのため、「電力を消費しているわたしたちも、もっと原発のしくみを知らなくてはいけないと思います」と飛躍してしまっています。つまり、なぜ電力の消費者が発電の諸々について知らない、という状態になっているのかと言えば、それは「そもそも電力会社を選べないのだから知る必要が全く無い」という当然の状況だからだ、という点を指摘しそびれたのです。ではなぜこのような飛躍が生じたのかと言えば、それは執筆者である女子大生が、「原発推進論者」を説得することばかりを考えており、「そもそもそんな話カンケーないじゃん」という無関心層を説得する、ということを考えていなかったからです。そのため「電力会社を選ぶ自由が無い→無関心」という当然の結果になっていることを見落としたのです。

とはいえ、電力会社の「地域独占」状態を批判的に論じる、ということは、やはり「汚れ役」の仕事になってしまうでしょう。そういうわけで、無関心層の説得、および、独占体制の批判は、この本のなかでは追及されずに終わってしまい、次巻でもあまりおこなわれていなかったと思います。次巻のメインテーマは「被災者支援」という話題であり、これまた「正義感にあふれる無垢で純粋な女子大生」にふさわしいテーマになっていると思います。もちろんそれはそれで重要です。

「原発推進論者」にダマされないようにする、という初期の目的のためには、おそらくこの本は便利な本だと思います。次の段階で読むのに適当な書籍も多数推薦されています。とりあえず、文系学生に必要な程度の理系知識とコスト計算の知識は手に入るのではないでしょうか(でもシーベルトが何なのかは書いていなかったと思います)。もちろん、「推進論者」のほうだってもっと理論武装してくるでしょうから、イタチごっこにはなるでしょうが、それでもとりあえずの土台にはこの本はなると思います。

この本は、社会批判に直接結びつくような話題は比較的避けられていたわけです。たとえば、メディアの報道の検証などはおこなっていません。そういうのは主に社会学者がやっているので、社会学の棚を見ればいいと思います。この本の中で行なわれなかった、電力会社の地域独占問題や、発送電分離などの、電力会社のあり方についての議論は、私の知っているなかでは、竹内敬二『電力の社会史 何が東京電力を生んだのか』が良い本でした。あと、原発導入の歴史はこの本でも触れられていましたし、アメリカの外圧についても簡単にはふれていました。ただ、それらと讀賣新聞や日本テレビという特定メディアとの関連や、ディズニー・ディズニーランドとの関連についてはふれていないので、有馬哲夫『原発・正力・CIA―機密文書で読む昭和裏面史』あたりが参考になると思います。これらは、この女子大生本の次に読むことを私が薦める本です。