あらすじ・アブストラクト・要約

あらすじとアブストラクトとは異なる。しかしどちらも要約と同じ名前で呼ばれることが少なくないものだ。たとえば、大学入試問題で「要約せよ」とは「あらすじを抽出せよ」の意味であるのに対して、大学入学後になってから論文を「要約せよ」と言われたら、それは「アブストラクトの形にまとめよ」という意味であることが多い。このように、小中高までの期間と大学・大学院の期間とでは、同じ「要約」という語を用いていてもその意味用法が大きく異なっている。そのことの無視が小中高の教育に与えている影響は決して小さくない。

ためしに烈車戦隊トッキュウジャー第01話を「あらすじ」と「アブストラクト」の形でまとめてみよう。

あらすじの一例を示す。

イマジネーション、それは不可能を可能にし持てる者だけが持つ力であり、世界を照らす光である。一方その光を嫌う闇もまた存在する。この物語はその光と闇との戦いの物語である。闇のシャドー怪人が子供たちを誘拐したところ、その列車に青年ライトが乗り合わせていた。一方シャドーを倒すべく列車レインボーラインが追跡し、シャドーの乗った列車シャドーラインと銃撃戦になった。このレインボーラインに乗っていたのは、シャドーを倒す使命を与えられたばかりの、四人の新米戦士であった。彼らとシャドー怪人とが地上で肉弾戦を繰り広げているのを見て、ライトは生身の人間のまま無謀にも戦闘に加わり、投げ飛ばされて気絶する。その隙に怪人は逃げ、誘拐した子供を送り込む先である闇のステーション設置の手はずを整えて、上司であるノア夫人に報告した。一方、レインボーラインの車内で保護されたライトが覚醒して、素顔に戻った四人と車掌および自称その片腕である腹話術人形風のチケット君と出会うことになる。やがてライトは記憶を取り戻し四人の幼馴染であったことに気づき、幼馴染としてあらためて再会する。そして、なりたかったトッキュウジャーのメンバーに認定されていることをライトは知った。また、シャドーが世界を闇で満たすのを阻止するのがトッキュウジャーの使命であり、五人はイマジネーションの力があることによってそのメンバーに選抜されたのだと、皆は車掌に告げられた。それを聞いたライトは変身のしかたも知らないまま、メンバーとして子供たちを助けるべくシャドーラインに乗り込み、その後を追って他の四人がライトの援護と子供の救助に向かった。トッキュウジャーの五人は、シャドーの怪人の繰出す大量の戦闘員たちに対して、各人に与えられた武器で戦いを挑んだ。さらに、メンバーの戦闘服や武器ごと一気に交換する「乗り換え」という技をライトはとっさの機転で実行し、皆をそのその乗り換えに巻き込むことよって、さらに敵を倒した。その後車掌たちからの指示で、イマジネーションによって繰出すことのできる変幻自在の最終兵器を用い、等身大の怪人をいったん斃した。怪人が巨大化して復活したため、今度はトッキュウジャーの五人は、各人の列車を操縦しさらに合体して巨大ロボットに変身し、巨大化した怪人をも斃した。その後帰還したところ、お前たちは死んだも同然の存在であるとチケット君に告げられ五人は大いに動揺した。

アブストラクトの一例を示す。

物語の初回なので、主な登場人物や場面設定などを一気にしかも無理のないように、短時間にそして端的に提示することに作者は努めている。劈頭で、イマジネーションというものが物語のなかで果たす役割を語り部に語らせる。そして物語の開始を「青年ライトの覚醒」に設定し、まず覚醒したライトがシャドー怪人に遭遇し、ついで新米戦士の四人のトッキュウジャーと怪人の戦闘に立ち会うという流れをつくる。ライトと他の四人との非対称性を打ち出すことで、そののちの対面とさらに実は幼馴染であったというライトの記憶の回復と再会とが、一つの山場になるように展開される。と同時に、その山場が、トッキュウジャーの使命をメンバーが車掌に告げられライトもまたメンバーであることの告知の場面にそのまま重なり、より高揚感を高めるようになっている。この山場の感覚を維持したまま、五人と怪人との戦闘場面と、五人がメンバーに選抜された理由を車掌が演説する場面とが、クロスカッティングの技法で並行的に提示される。これによってさらなる山場を形成する。と同時に、この技法は、一度先立って使用されていたものの再来でもあるようになっている。車掌がシャドーについて五人に解説する場面と、シャドーの拠点内部での場面ともまた、クロスカッティングの技法でつながれていたのである。この場面は同時に、シャドーの主要メンバーの簡にして要を得た視聴者への紹介にもそのままなっており、「悪役」メンバーごとの同床異夢の状況が暗示されている。一方、二回にわたって提示される戦闘シーンではまず何よりも戦隊メンバーの各人の個性の提示に重点が置かれている。猪突猛進かつ即断即決で端的な言葉を繰り出すライト、そのライトは「メンバーの乗り換え」という大胆なアイデアを咄嗟に思いつきまた皆をそれに巻き込む発想の自由さと積極性をもつことも示され、ここにも「イマジネーションがとりわけ強いライト」という車掌の言葉とオーバーラップするように視聴者に印象づける。そして、親切だけど不器用でぎこちないトカッチ、曲がったことが嫌いで少し頭の硬いミオ、冷静で余裕にあふれたヒカリ、怖がりだけどイマジネーションの力による自己暗示と「なりきり」でいつも危機を脱するカグラ、といったレギュラーメンバーの人物像が、二回の戦闘シーンでもかなり視聴者に伝わるように誇張して提示している。最終兵器もまたイマジネーション次第という設定であり、主題の一貫性とともにユーモアをも伝える場面となっている。そして、等身大の怪人が斃れた後の巨大化場面では、物語の今一つの主題である列車をフル活用し行なわれる。いわゆる巨大ロボットの特撮のアイテムのなかに、汽笛や踏切や自動改札といった現実の電車を想起させるアイテムを随所に盛り込んでいる。さて巨大化した怪人を斃したことで大団円となるわけではなく、間髪入れずクリフハンガー的手法に拠る、所謂「引き」の場面に突入する。すなわちトッキュウジャーのメンバーが死んだも同然の存在であることの告知が行なわれメンバーが動揺する場面に転換する。この場面で視聴者の興味をつないだまま第一話を終らせるというわけだ。なお、場面転換の技法としてあと指摘できる点を補足すると、「過去の回想」および「誰かのイマジネーション」であることの提示技法がある。どちらも映像にやや白みがかった透明度の少し低い映像で提示され、また声がエコーがかかっていることが多い。これらの場面と通常の場面とで「現在/過去」や「現実/イマジネーション」の対比がしばしば行われ、視聴者にもその区別がわかるようになっている。

さて、この「あらすじ」と「アブストラクト」の相違は、実はそのままマンガ作文・テレビ作文における「直接話法」と「間接話法」の相違と、同じ形式の違い方である。つまり、「直接話法で書かないで間接話法で書く」という知的操作と、「あらすじで書かないでアブストラクトの形で書く」という知的操作とは、理論上同じことをやっていることになるのである。

以下は直接話法での記述例である。

とかっちは「うん。今逃げた怪人追ってるとこ」と言った。

以下は間接話法での記述例である。

らいとの確認を肯定したのはとかっちであった。とかっちはらいとに今は先ほど逃げた怪人を追っている最中であると状況説明をした。

以下は直接話法での記述例である。

らいとは「って事は もしかしておまえたちがさっきのトッキュウジャーってやつか」と言った。

以下は間接話法での記述例である。

とかっちの説明で、昏睡前の状況と現在とが結びついたらいとは、先ほどまでの痛快な戦闘ぶりを思い出して興奮し、目の前の四人がそのときのトッキュウジャーという戦隊と同一人物であるかどうかを熱心に確認しようとした。

間接話法とは言ってみれば言語行為論でいう「発語内行為」を中心として、あとは表現をより豊かにするための補足をしたような仕方で記述することなのだ。たとえば同じ発語内行為であっても発話の内容をより生かしたような書き方で表現したりすることなのだ。同様に、アブストラクトで書くというのも、論文のアブストラクトならやはり「発語内行為」を中心にして書くということであり、今回のように映像のアブストラクをを記述するのは言わば「発“映像”内行為」つまり映像の送り手の行為として記述するということなのである。

だからこう言いたい。小学校三・四年の児童に「直接話法ではなく、間接話法で書かせる」ということを教育的にやらせることと、大学生に「あらすじではなく、アブストラクトで書かせる」ということを教育的にやらせることとは、言ってみれば「同じ事」である。つまり、マンガ作文を教える側というのは、「自分の読解できる文章」はアブストラクトの形で当然書けなくてはいけない、ということでもあるのだ。それは「せりふ」の内容が理解できる子供であれば、間接話法で書けなければならない、という要請と同じことなのだ。このことは重要な点なのに、とりわけ教える側には気づかれていない。あるいは実際に指摘してみせると、何のかんのと言いながら言い逃れようとする。なのでその指摘だけはしておきたかった。

子供の知的発達を「具体から抽象へ」といったフレーズで捉えている教育関係者は少なくない。マンガ作文の発明者もその「具体」の初めの一歩のつもりでマンガ作文を位置づけていた。その点については今は触れない。肝腎なのは、この「直接話法→間接話法」やさらには「あらすじ→アブストラクト」という変換が、その「具体→抽象」というタイプの関係とは明確に異なるということである。それでいながら、「直接話法→間接話法」や「あらすじ→アブストラクト」は、前項より後項の記述ができるほうが明らかに「高度」という関係にもなっている。「直接話法→間接話法」に匹敵するこの知的操作ができることは、「具体→抽象」とは明らかに異なった仕方で、ある種の知的能力を要求するような発達段階階梯を形作りうるのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です